米軍ハウスから見える立川と日本の歴史
第二次世界大戦勃発前の1922年当時、立川に大きな飛行場ができました。
大戦前は一般の民間空港として共同利用されていましたが、やがて大戦が起き、陸軍航空の研究拠点として利用されるようになります。
そして敗戦すると、立川飛行場がアメリカに接収され、アメリカ軍の基地となりました。
それに伴い、立川には数多くの米軍ハウスが建設されることとなります。
1975年にベトナム戦争が終わり、1977年、アメリカが立川基地を全て返還。
飛行場のあった場所には様々な施設やショッピングセンターが建ち、立川から戦争の面影が消えて行きました。
その後も米軍ハウスの多くは一般住宅として残りましたが、現在ではそのほとんどが老朽化で取り壊され一般の住宅へと変わってしまい、いまではXエリアと、昭島市にある「アメリカ村」以外はほとんど残っていません。
戦後70年以上がたち、米軍ハウスも懐かしい昭和の風景になりました。
今や華やかな若者の街となりつつある立川ですが、その郊外にひっそりと佇む戦争の痕跡にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
協力:立川印刷所